作品の裏側

あとのり書き

AFTER NOTE — WRITER'S COMMENTARY

書いて終えてしまえば、色々思うところはあってもあとの祭り。
そんな気持ちで書く、作品のあとがきです。
※ 作品イメージを大切にされる方はご注意ください

◆ 目次

作品のあとがきです。
各作品本文からもご覧いただけます。
セカイノオワリをあなたと

あとの祭り書き

セカイノオワリをあなたと

先日ボイストランドにアップした「セカイノオワリをあなたと」のあとの祭り書きです。

こちらは「救いの詩/滅びの詩-世界が終わる時、僕らは」というイベント、通称「すくほろ」の一般企画参加シナリオとして書き上げたものです。

実はこの物語の構想は、もう数年前からありました。今回「すくほろ」企画が発足して、題材的にも「今こそ書かねば」と思い立ち、思いのほか筆が進んで一般参加シナリオとして整えるに至りました。

当初は「彼女がひとりで歩いていく物語」として考えていました。しかし声劇シナリオとして形にするにあたり、彼女一人と大勢の人々(兼ね役)を出会わせる構成では演じる側に負担が大きいと感じ、思い切って「彼と彼女の二人視点」に変更しました。

出会う人々をモノローグに組み込むことで、二人がそれぞれ終末にすれ違う人々を切り取るように描けたのではないかと思っています。

彼が出会うのは「日常を覆す事で大事なものを守ろうとする人々」。彼女が出会うのは「日常を通そうとすることで歪んでいく人々」。

けれどその誰もが、世界の終わりにただ「あなた」といたいと願っているのです。たとえその叶え方や結果が歪んだものであっても。

子供は母と、母は子供と。店主は店と。老人は先立たれた妻と。妻は出ていこうとした夫と。ヴァイオリニストは音楽と。

そしてまた、この作品には「世界がいつ、なぜ終わるのか」は描いていません。……手抜きではありません、よ!重要なのは「いつ、なぜ」ではなく、「終わる」という事実そのもの。そのとき、人は「なに」を必要とするのか。――そこに焦点を置きたかったのです。

ラストシーンにおいては、彼の家のドアノブに彼女が手をかけたところで終わっています。ドア1枚隔てた2人。このドアを開けたらどうなるのか、2人のこの短くて濃い旅は終わるのか。会いたかった気持ちは?自分の存在意義は?答えはでるんだろうか。でももしかしたら開けるこの瞬間に顔を合わせることなく世界は終わるのかもしれない。

世界の終わりが来ても来なくても、人生ってそんなものじゃないかと思うんです。来ても、来なくても、「あなたと居たい」と思えることは確かに幸せです。けれど、それを幸せだと気づくのは"終わり"という絶望を突きつけられたからこそ。世界が終わるということ自体が、すでに絶望。たしかに、その絶望の中で大事なものに向き合わざるを得ず、その中で小さな救いのような瞬間が生まれることもあるでしょう。けれどそれは、終わってしまう絶望を突きつけられたからこそ得られたもの。本当は――終わらなければ、向き合わずに済んだし、気づかなくてもよかった。この企画では「救済」か「絶望」を選ばなければなりませんでしたが、そんなわけで私は、この物語を「救済」ではなく「絶望」として描きました。その絶望の先で、「なにを必要とするのか」を感じてもらえれば、と思います。

正直、ほぼ全編にわたりモノローグなので、演者さんに敬遠されるかもしれないという懸念もありましたが、これが秋の鹿の紡ぐ「世界の終わり」です。

彼と彼女、それぞれのモノローグだけで進む形をとったので、二人が見ているもの、感じているものが交互に現れることで、一枚の風景が立ち上がっていく――そうなればいいな、と思っています。

モノローグ、というのはナレーションや、朗読とはまた違うもの。あくまでそのキャラクターの思考と鹿は意識していますが、読み手や演じ手の解釈によって、まったく違う温度の物語になるかもしれません。

また、二人の目の前に現れる人々については、声色を変えて演じ分けてもいいし、彼・彼女の視点としてそのまま読むのも一つの解釈です。楽しんでいただければ幸いです。

そしてそのアーカイブを聞けることを楽しみにしておりますね。

ではまた。

キリンはサバンナの夢を見る

あとの祭り書き

キリンはサバンナの夢を見る

ご無沙汰しております、鹿です。元気です。

前回「ポル・ウナ・カベーサ~エナモラドス」をUPしたのが2024年2月。そのときのご挨拶以来、こちらではすっかり姿をひそめておりました。

その後、ぽちぽちとひとり読みにも使っていただける朗読詩・梅花月光に君想う(2025.2月)・ウラバンナ(2025.8月)をUPしたり、既存作品を含め、何カ所かの新しいプラットフォームに作品掲載をさせていただいたりしておりました。

私生活(仕事や家族のこと)が激忙だったのもあり、正直、「もう"秋の鹿"は某コネとともに風化していいかな」「既存の作品を"想い出書籍"にまとめて終わりでもいいかな」と思ったりもしました。でも、いまだ、作品をあげたら反応がいただけたことも、演じてくださる方々がいらっしゃる事も、本当に嬉しかったし、楽しかった。やっぱりね、好きなんだなーと。

そしてちょっとうっかり、書くか!書いてみるか!と、思って書き上げたのが今回の「キリンはサバンナの夢を見る」です。

鹿本では初めての3人用シナリオ約25~30分ほど。そして書き上げてみれば、鹿にしてはモノローグの少ない会話劇となりました。いやー緊張した!再始動というほどでもないのですが、まだ書けるんだな、というのを自分でも再認識できた気がします。

せっかくなので、あとがきっぽく本作に触れていきますと。キリン=クレーンです。あのほらでっかいやつ。実は子供のころから、コンビナートやビルの上にいるクレーンを見るとなぜか問答無用でワクワクしていました。

鹿家から車で移動するときに通るなんちゃらブリッジがあるのですが、そこにいるのです、キリン。朝日、昼の日差し、夜のライトの点滅。ふんわり眺めながら、「いつかこのキリンたちのお話を書きたいな」と思っていました。

これは不思議とスッと書き上げられて、むしろ細部の調整に時間がかかったくらい。

ちなみに今回、なぜかそんなにコアファンではないのに、ずっとビートルズやジョンレノンの曲を聴きながら書いていて、鹿の頭の中ではラストのあさ実のセリフのあと、エンドロールで「(Just Like) Starting Over」が流れてるようになってしまいました。

最初に「チーン」って鐘の音で、扉が開くみたいに始まって、ギターのコードとジョンの「Our life〜」って歌声が重なる。コーラスが入って厚みが出たら、ドラムがリズムを刻み始める。揺れるウォーキングベースが乗って、ジャズやロカビリー、古いジュークボックスからこぼれる低音みたいに、軽やかに跳ねて、曲全体が、ちょっと50年代のオールディーズっぽい明るい雰囲気に包まれていく。

悠、爽太、あさ実のそれぞれの日常。店舗でコーヒー淹れてる爽太、クレーンのオペレーションをしてる悠、仕事のアポイントの電話や打ち合わせをするあさ実、イラストを描く悠、そんな映像が頭の中で再生される。くぅー!映像化したい!色々無理すぎるけど!!!

あさ実と悠はこの後、顔を合わせるのかな!とかシナリオを読んでくださった方から感想をいただいたりしましたが、そこは言わずが花。白状すると、本篇の中では絶対に二人を再会させるもんか!と、ともすればそちらにペンが向きそうになるのをこらえてました。

このお話の、ドラマティックでは決してない、でも少し目線を変えただけで確かに変わっていく。三人三様の「(Just Like) Starting Over」。

これはもしかしたらちょっとだけ、ライター・秋の鹿の「(Just Like) Starting Over」なのかもしれません。

お手に取っていただけたら嬉しく、感想などいただけたら小躍りしますので、どうぞよしなに。

ではまた。

きんぎんすなご

あとの祭り書き

きんぎんすなご

さて、先日も書きましたが、2021年の旧暦の七夕は明日、八月十四日です。それに合わせて七月七日にアップをした「きんぎんすなご」あとの祭り書きと参ります。

こちらは「あ。明日七夕じゃん」と、思いついて勢いで書いてしまった男女差し台本。でも出来上がってみたら「鹿にしてはいい話」になった気もする…はず。

元はもう少し色っぽい、というかエロっぽいというか、鹿っぽいというか「気配との秘め事」のような話を書こうと思っていたのですが、書いているうちに、どんどん切ないお話になってしまいました。

一年に一度だけ会える恋人ってどんなだろう?今どき、海外転勤でももっと会えるよねえ?特殊なお仕事?いやいや。そんな、会えない理由や会える理由よりも、逢った時の刹那を切り取りたいのよ←ほら言い訳

書き出した時は、彼はもう少し実体があって書いてた気がします。でも彼を求めて手が空を切った時に、彼は実体がなくて、でも存在していて、そんな中で彼を認識出来るのは「気配」、うん気配だね。彼といる時の「気配」でしか彼女は彼を認識出来ないんだね。匂いや動く空気、その湿度。声もね、本当に聞こえているのか、記憶の中から思い出しているだけなのか、もう、わからない。これは、もしかしたら彼女の夢なのかもしれない。

そんな事を思ったら、ぐわーーーっと書き進んでしまって気づけばこんなせつないお話が出来上がりました。気配とのエロ事はどこへやらです…。

「先に死んでごめん」って言葉は、きっと彼が一番伝えたい言葉で、一番伝える事が出来ない言葉なんだろうなぁ。なので彼にはそれを言わせてあげれてよかった。

これは完全なる私の個人的な感覚で「涙」は目から流れるけれど「泪」は心から流れるような気がします。目から流れる涙には嬉しいとか、感動とか、寂しいとか、あくびとか色々あるけれど、心から流れる泪はとても悲しくて、どうしようもできなくてやりきれない、そんなイメージです。

ラストで彼女はきっと結婚していて、娘と七夕の短冊を書いています。かわいい小さな娘に、泣いているのを心配される幸せな生活なんだろうね。でも、もう来ない、手離してしまった気配を思い出して、頬を伝ったのは雨の雫だったのか、彼女の心に残っていた泪の一滴だったのか。

そしてその時、彼女の頬を撫でて行ったのは実はずっと彼女の傍にいる彼だったのか、ただの動いた空気だったのか。そんなことに想いを馳せながら、お手に取っていただけたら嬉しいです。

ではまた。

初めての二回目

あとの祭り書き

初めての二回目

「初めての二回目」加筆版をシナリオアップいたしましたので、原文と加筆版についての祭り書きを少々。

元は女性の一人読みで書いていた草稿だったのですが、不思議なもので、今となって読み返すと私自身が、書き換えた二人読みの方が好きになってて、そのまま加筆をした次第でございます。

草稿を書いたのは六月半ばくらい。まさに「ポルウナ」に囚われまくってしまっていた時期でした。

「…何書いてもポルウナ臭がする気がする」と、書いてはやめていた時期。実際、何を書いても恵利子と填のアフターストーリーにしか自分でも思えなかったりしてたのね。この台本も、一人読みで書いている時は恵利子と填がタンゴの後、少し仲良く露天個室宿などに花火見に行ってるのを書いてる気しかしなかったんですよね…

それが嫌で、女性のお姉さんぽい表現を消したり浴衣の柄や髪型を若めにしてたり、恵利子を払拭するぞってしてみたんですけど、それはそれでどんどんらしくなくなって。

でも草稿をチラ見せして相談した方々から「いや、大丈夫。ポルウナ臭じゃなくて、これは鹿臭」というお言葉をいただいて鹿の目から鱗。そっか、鹿の書くものだから鹿臭くて当たり前か!なんて思えて開き直れました。だってやっぱりポルウナも私の一部から出たものだから、ポルウナも鹿臭いんだってば、うん。このあたりが身の丈であると思ったら少し楽になりました。

ヘタレなので本当に皆さまに支えられて続いておりますよ、ありがとうございます。

加筆に当たり一人読みの草稿から情景を多少足して、また削って。なんとなく形は落ち着いた気がします。

あ、例によってところどころ漢字のトラップを仕掛けておりますので、気づく方は拾っていただければにやにやしながら聞きますね。

これからも鹿臭い作品を匂わせながら書いていけたらと思っております。

ではまた。

リョコウバト

あとの祭り書き

リョコウバト

あーーーー・・・次作の終わりがまとまらないーーー・・・いつも書き出しだけで進めちゃうからあかん。

そんな「リョコウバト」あとの祭り書きです。今日はちょっとゲス引っ込めて真面目。

初めて書いてみようかな、と思って書いた複数名用(言うて二人やけど)の会話劇台本です。学生時代の、焼き直し系を除けば初めてですね、うん。まあ・・・・・・・・・向いてない。orz.......話長いし、うんちく長いことこの上ない。

ボイコネに前二作をあげてみて、思ったことは「やっぱりみんな二人以上の声劇が好きよね(そりゃそうだ)」ってことと「やってて楽しいコメディ好きよね(ごもっとも)」ってこと。一番需要のない所に切り込んで行ってしまったのか・・・いや、いーんですいーんです!当たり前の話です。私も聞いててコメディの方が楽しいし面白い。

でも、そりゃ書いたものが読んでもらえる方が嬉しいよ。それで頑張って書いてみた、結構自分では頑張っちゃった感の強い作品です。

最近少しずつですが、たまにこの台本を読んでくださる方がいらっしゃって、すごくすごくすごくすごく嬉しい気持ちでいっぱい。イヤ本当に社交辞令じゃなく、読まれて一番嬉しいのは実はこの本です。二人用なんて、すんごくすんごくすんごくすんごく素晴らしい素敵な台本がたくさんあるのに、うっかり読んでくれて本当にありがとうございますしかない。

プロットきちんとしないで雰囲気と勢いで書いていくので、すぐ脱線するし、説明長くなるし。やっぱりリリックなものの方が向いているのか?いや、そもそも人様に読んでもらおうなんておこがましいのか?と、かなり落ち込みまして、これ以上、恥をさらす前にボイコネ撤退しちゃおうかなーなんても思いました。

最初に読んでくださったお二人のキャスト様には本当に頭が上がりません。配役を交代してリバでも読んでくださって。白状しますが、すごく何回も何回も聞きました。再生の結構な回数は私な自信がありますwww。

台本の投稿の仕組みや、会話だと気を付けたい節、言い回し、間、いろんなことを気づけて、考える基盤となったのは、台本の稚拙さをカバーできる、上手で魅力的なお二人が読んでくれたおかげです。この場を借りて、本当にありがとう。

成長はできてるかわかりませんが、自らの増長と文章の冗長を避けるよう精進し、今しばらく、楽しく遊ばせていただけたら、と思う所存でございます。

ではまた。

花の下にて、春死なん

あとの祭り書き

花の下にて、春死なん

新作。また季節ものか!とお声が聞こえてきそうですがw。今回は「ボイコネにさくらを咲かせよう!」という趣旨で女性作家5名が企画いたしました「#ボイさく」というイベントの参加台本でございます。「さくら」をテーマの一人読み台本を書いたり、読んだり、聞いたりしましょう!ということで、鹿も一本書かせていただきました。

「花の下にて、春死なん」

おりしも、関東はソメイヨシノ満開。気づけば鹿は、今年は色んな場所で色んな桜を色んな天気で愛でたなぁ。ふふふ。愛でることができることに感謝。

桜というのは不思議な樹だな、とつくづく思います。もはや「樹」というのも憚られる「桜」、という存在感。

今回作中に引用した歌は2つ。

西行法師の「願わくば 花の下にて 春死なん その如月の 望月のころ」

もう一つは在原業平の「世の中に たえて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし」

西行の歌は、かなりキャッチーなのでご存じの方も多いかと思います。こんな美しい想いが口をついて出るほど、千年の昔から桜というものは心を震わせる存在だったわけで。

子供のころ、鹿の家から通っていた小学校までは川沿いの一本道で、それはそれは見事な桜の植えられた土手沿いの歩道で。春夏秋冬、その桜並木を通り抜けて通学していました。

葉桜の夏は毛虫が出たり、紅葉はする間もなく葉が落ちて、冬はただの枯れ木の道で、春、遠目からでもほんのり赤味を増してきて。そして、ほんの3日ほどの、空間全てを埋め尽くす満開。

そこから花びらは散り、川に筏を作り、春の強風に舞い、ときには季節外れの雪や、しとしとと降る冷たい雨に震える花を、いつもそこにある季節のものとして子供時代を過ごしました。

今はその土手もなくなってしまい、あの風景は記憶の中にしか、ないのですが。鹿の中では桜はいつもそこにあって、面倒だったり、気にもかけない日々の方が多いのに、とてつもない美しい時間を、ほんの数日だけくれる。だから好きでいられる。そんなものだったかな。

今回の「花の下にて 春死なん」を先読みしてもらった人には「今回かたくない?」と言われたりもして。あの子供のころの、今は記憶の中にしかない光景を、鹿が文字にして、みなさんが音にしてくれたら、もう一度、見れるだろうか、華やかに。

西行や業平のように千年のちにも残るとは到底思ってもないのだけどね。なんて、気持ちで、美しい日本語で、美しい調子で書いたらこうなった、そんなお話です。あーそんな思いが強くて、かたくなったのかなー笑

ではまた。

鬼は疽と

あとの祭り書き

鬼は疽と

おにはーそと、ふくはーうちと。子供のころ節分の豆を鼻に突っ込み、取れなくなって耳鼻科につれていかれた鹿ですが、本日節分につき、鹿なりの鬼を書いてみました。「鬼は疽と」あとの祭り書きでございます。

節分、ってちょっと地味なイベントですよね。豆をまいて福を寄せ、鬼を退治する。本来の意味としては、「節分」は実は年4回あるんだそうで。季節の節目である「立春」「立夏」「立秋」「立冬」の前日のことを節分、といい、漢字の通り「季節の分け目」の日という意味。

だからね、春夏秋冬いつ読んでくれてもいいんですよ?ってことで宣伝w

この本を書くときに「おにはそと」という音を「おには『そ』、と」っていう音でとらえたくて、『そ』の漢字をあれにするかーこれにするかーどういう意味があるかーって、結構あちこち散らかしました。

その中で拾った「疽」。悪性の腫物の一種。はれもの。壊疽(えそ)の「疽」ですね。これだー。

鬼=自分の中の色々な、汚い醜い、でも湧いてしまう気持ち。だとするならば、それはどう処理していけばいいのだろう。豆をまいて追い払えるなら、もう、投網ぶぁああああああって投げる並みにまくよね。

鹿は結構、根に持つタイプなんで。しかも文句もためて詰め合わせアソートで進呈するタイプなんで。ほんとにね、ええそれはそれは、ええもう。業にまみれて「小さな鬼」を量産して、最近はもう鬼と戯れながら……

自分の鬼とどう共存していくのか。そのために、そんなことで鬼を払えるとは思ってもいなくてもさ、豆をまき、福を願って豆を食う。そういうことが必要なんだよね、「人」には。「鬼」に取り込まれてしまわないようにね。

「鬼は疽と」そんなお話です。春夏秋冬いつでも!お手に取っていただければ喜びます。

追記:「鬼は疽と」→「おには、はれものと」と読んでくださった演者さんがいらっしゃいました。ほぅ!と、それはまた、とてもとても素敵な切り口でございました。ありがとうございました。素敵だったのでこちらのタイトルからも「(そ)」を外させていただきました。

雨間も置かず

あとの祭り書き

雨間も置かず

九月もあと数日ですね。本当に今年はあっという間だなぁ…

さて、先日UPいたしました「雨間も置かず」、早速読んでいただけてて嬉しい限りです!ちょっと早めにあとがきを纏っていこうと思います。

「走り書き」やシナリオ詳細にもちょちょいと書きましたが、きっかけはTwitterでまわってきたタグ「#雨宿りを17文字以内で表現する」に「女には、言い訳が必要なの」って答えて。そうしたらそれで一本一人読み書けそうだなーってなって書いちゃった本です。

でもね、最初、なんというか昭和歌謡というか金井克子っていうかみたいになっちゃって。とてもとても恥ずかしい出来になってしまったのですよ。なんかねぇー入れたいフレーズ全部つっ込んだら、情報過多すぎて、またもったいないよぉと思いながらだいぶ削ることになりました。

この話は、えろっぽい雰囲気になったのに、ムカついた話思い出しちゃった。信じたわけじゃないけどそういう事にしとくか、しゃーない。だって、言い訳したりされたりしながらまだ続けたいんだもん。でもすごいムカついたんだけどね?まぁあなたの言い訳を本当とするなら、通り雨みたいなもんなんでしょ?そういう事にしとくわよ。大人だから。って思いながら「雨を薄眼で見つつ指を絡めていく」感じ。

参考にした万葉集の対歌も本篇に貼ってありますが、懸歌(かけうた)→多分嫁「十月(かむなづき) しぐれの雨に濡れつつか 君が行くらむ 宿か借(か)るらむ」。返歌(かえしうた)→多分旦那「十月(かみなづき) 雨間(あまま)も置かず降りにせば いづれの里の 宿か借(か)らまし」。

ま、この頃って夫婦って言っても通い婚だしね。女が待って拗ねて不貞腐れて歌送って、男は綺麗ごとの言い訳しながらふらふらして、やべっ!借りてません借りてませんって返事送るって、今も昔も色事はたいして変わらんことですね。

どうしても鹿の書く女性はこの懸歌の女性のように殊勝にはなれないらしい。なんなら帰ってこなきゃ捨てるし、私がどっかの里で宿か借(か)らましだし。いっそ引っ越すし。

男女でも同性でも、言い訳もさせてもらえないようになったら、もう先は全くないからね。せめて言い訳できる、そしてさせてもらえる信頼関係を積み上げていきたいもんですね。

ではまた。

ポル・ウナ・カベーサ

あとの祭り書き

ポル・ウナ・カベーサ

ずいぶんと引き延ばしてしまった、ポル・ウナ・カベーサのあとの祭り書きをいい加減書こうと思います。

うーん、これを書いてしまうともう、手放さなきゃいけないような気がして、書きたくない。なんても思ってました。

それが、5月のシナリオランキングでは、身に余る三位という順位にしていただきました。本当に本当にありがとうございます。

あれよあれよという間に、読んでくれる人は増え、お祝いを言ってくれる方も増え、なんか、それを魂が抜けてぼーっと見ていて、ハッと気づいてあわわわわわわわ、となっておりました。褒められ慣れてないんです・・・よ・・・

填と恵利子をたくさんの方々が愛でてくれるのが嬉しくもあり、多くの方々の目に触れる分、二人は勝手に踊り始めていたり。私はそれこそ、脱げない赤い靴を履いたみたいな。

さて、せっかくのあとの祭り書きなので、ポルウナ無印について少し。

シナリオをアップしてすぐの頃に、いただいた質問のDMの話です。「アル・パチーノの事をわざわざアル・パシーノと表記されているのは、時代背景でしょうか?」・・・すみません、なんとなくです。

本編に度々出てくる「アル・パシーノ」。今は「アル・パチーノ」と呼ばれる事が主流です。1990年代だったかな、にどこかの誰かが「パチーノ」で表記統一しよう!と言い出すまではどちらも呼ばれていたり、どちらかというと、「パシーノ」が主流だったようです。「パシーノ」の方が口当たり柔らかくない?ってだけで書いたのですが、「パシーノ」が正しいのかな?って思ってしまう人が増えたらよろしくないもんね。むしろ「パチーノ」が今は正しいですと、明言しておきます。

ゴッド・ファーザーのパチーノはもうあれよ。あれですよ、ほんともうね、あれ。・・・語彙力が粉砕するかっこよさ。二年に一回くらいは三作ぶっ通しで観たくなります。いや観てます、是非観てください。

本当は、ポルウナ無印の祭り書きには私の填と恵利子設定をネタバレ的に書こうと思って下書きしていたのですが、演者の方々の解釈や、方向性に「正解はこれじゃよ」と言ってしまう気がしてやめました。

ゴッド・ファーザーの監督、コッポラは撮影中に脚本を変えたり、台詞を追加することで知られています。俳優がミスをしたシーンをそのまま使うこともあったそうです。その方が本物らしく感じられるからだそうです。一期一会の声劇、皆さまの一回一回のその時の填と恵利子を、これからも、楽しみに聞かせていただきたいと思っています。

今回は本当にありがとうございました。応援していただいた気持ちに報いることが出来るよう、腰の重くなっている次作もぼちぼち頑張ります。

ではまた。

ポル・ウナ・カベーサ ~ マスクリーノ

あとの祭り書き

ポル・ウナ・カベーサ ~ マスクリーノ

もう5月も残りわずか。先日のボイコネリニューアルの宣告でじたばたする日々ですが…。

さてさて。そんなさなか、無印に続きマスクリーノが投稿一周年でございます。

一作限りのつもりで書いたポルウナは、気づけば五作になり、作者の予想もしない一年後を迎えております。マスクリーノは先日上演200回にもなりまして、今月は、ポルウナ一周年!と皆さまが踊りまくってくれて、愛でてもらって、本当に鹿は幸せだ、うん。

基本ツンデレなんですが、実はむっちゃ嬉しいんですよ?

…そんなわけで、ただいま色んな色んな方向性を皆さまが試行錯誤しているとは思います。鹿もですが。でも、とりあえず「様子見」しながら楽しく進めるように出来ることはしておこうと思いまして、まずは、ここのサイトを整えました。

開設当初はボイコネでシナリオを読んでくださる方に向けてちょっとした裏話や、解釈をつらつらと書いていこうと思って始めたこの「あとの祭り書き」でしたが、状況も変わりつつあり、外部のプラットフォームでも鹿本を使っていいですか?なんて言ってくださる方もちらほらといらっしゃったり。

もう、書いたものを愛でていただけるだけで尻尾ぶんぶん丸ではあるのですが、そこは大人。お互いに気持ちよく使っていただくためにも「利用規則」のページを設けました。

かたい話はこのくらいにして、これからも、皆さまと楽しく遊んでいけることを切に願っております。

ではまた。

ポル・ウナ・カベーサ ~ カンデリージャ

あとの祭り書き

ポル・ウナ・カベーサ ~ カンデリージャ

さっむ!!!!!ポル・ウナ・カベーサ~カンデリージャ、あとの祭り書きでございます。早めにっていったじゃん!寒すぎて気が付いたら20日ほど経ってました、すみません。

さて、気が付けば結構な物議と悲鳴を醸し出してしまった「カンデリージャ」、スペイン語で「蛍」です。「填くんこんなクズかーーーーーい!」ってお声があちこちから聞こえておりますが、とりま今回は蛍ちゃんのお話です。

作中に出てくる「水に燃えたつ蛍」という言葉は、水の上を燃えんばかりに光りつつ飛ぶ蛍。「水」と「見ず」をかけ、蛍の発光を「炎が燃えたつ」に見立て、感情が激しくわき上がる意をかけて、相手に会うことなく恋い焦がれることをいうことわざです。

今回の蛍ちゃんは、惠利子さんの残像だけを求めて填とごにょごにょなわけですが、蛍ちゃんの行動ってある意味究極のヲタ活。握手会で推しと握手してきた人の手を「ちょ、ちょっと触らせて」という感じ?←ひどい。事後に「また会ってもいいかな」と言う時の真意は決して「填」にまた会いたい、ではなくて、惠利子さんの残像が美味しすぎたってことですね。

こんなの違うってわかっていても、自分の欲しいものじゃないとわかっていても、残像の愉悦にズブズブ。でもなんなら、実際の恵利子さんと結ばれるよりも、拒否も否定もされない追う事だけに集中する推し活の極みなのかもしれません。蛍ちゃん・・・ごめんよ・・・

填と蛍ちゃんはお互いに、男女としての興味はなく、お互いに恵利子さんのことを考えていて、口から出てくる言葉も恵利子さんの気配のする事ばかり。二人はここにいない恵利子さんのことを見ながらごにょごにょしていくわけですね。お前ら、どんだけ恵利子さん好きやねん。

実はこの話は「ガルデーニア」を書いてすぐに、なんなら書きながら構想していたので、けいちゃんがラストに「ほたる」って名乗るのと蛍ちゃんが恵利子を想いながら填と絡むシーンはかなり前に書き上げていました。なんとなく、これを頭に置いて「蛍」って名前をつけたのもあったりします。

書きあげてみたらなんかね、填がさー、これ、チャラいヤリヤリくんって思われないかなーって心配になりました。そんなでうっかり填掘り下げバージョンも書いてしまうことに。そのお話は、また「ジェナール」の祭り書きで。

ではまた。

ポル・ウナ・カベーサ ~ ジェナール

あとの祭り書き

ポル・ウナ・カベーサ ~ ジェナール

めりーくりすますいぶですねー(棒読み)←仕事激忙。みなさまリア充してますかー(丸太並みの棒読み)

ここ数年、クリスマスなにそれおいしいの?鹿の国には年末進行って言葉があってね?・・・いや言うまい。

さて、ジェナール!のあとの祭り書きです、はい。

こちらはスペイン語で「いっぱいにする、満たす」さらに「(条件を)満たす、(人を)満足させる」などの意味があります。填の日本語の漢字「填」の意味「うずめる。ふさぐ。はめる。みたす。あいている部分や足りない部分がみちる」に引っ掛けております。

物理的に「ふさぐ。はめる」あたりにフォーカスしちゃうと填くん、かなりのヤリヤリくんになっちゃいますが笑。できれば素敵な意味の方にフォーカスしていただければなーって、さすがに思っております。

あちこちから聞こえてきた「填くんこんなクズかーーーーーい!」ってお声。ほんとすみません。でも作者的には、本編のころから填くんはクズの想定で書いてました。ただね、チャラのヤリヤリくんではないつもり。

ちょっとネタバレの設定書いてみます。恵利子さんに限らず女性と気軽に関係を持っちゃってて、その事自体に大した意味は感じていなくて。でも、躰を重ねることでその男を好きになった気がしてしまう女性たちにちょっと褪めてしまっている。どうせあなたたちが好きなのは、俺自身じゃなくて、こういうふうに優しく丁寧に扱われて気持ちよくされて、自分のことを特別に扱ってくれているような気がしてそれをこの男が好きって思いこんでいるだけって。

俺がどう思うかとか、俺が何が好きかとか関係なくて、好きなの、って気持ちだけ押し付けてくるじゃん って思ってる。そんな相手を好きになることはないけれど、そうやって必要とされるのは嫌なわけでもなくて、必要とされることが自分のアイデンティティになっている部分もあったりして。彼はそれを続けている。

恵利子さんにとって填は遊び相手の男の子の一人だけれど、填にとっても恵利子さんはそんななかの一人だったけど、そんな恵利子さんのことを「…ていうか俺が思ってたより…恵利子さん、俺の事好きなの?ねえ?」って思ったり、そんな填が「俺も自分で思っていたより、この人のことが好きになっているのかもしれないな」っていうのが無印のお話。

ジェナールの話じゃないじゃん!!!!ということで、続きは早めに書くことにします。。。

ではまた。

汞(みづかね)

あとの祭り書き

汞(みづかね)

汞(みづかね)の後の祭り書きでございます。これ書かないと「ポル・ウナ・カベーサ」の話が書けないし。(早く書きたい←)

一部で「これはっ!鹿の実体験では!」とか「誰かに宛ててるのか!」とか物議を醸しているようですwww・・・なんでも筆のネタにする業よ・・・宛ててても言いませんけどねw。

でもみんなありません?恋愛じゃなくても、友情でも、尊敬でも、要は思慕。独占欲、所有欲、嫉妬心、羨望、焦燥、私を見て欲しいな、という思い。もっとこっちを見ててほしいな、という願い。その人の中で私の存在が大きくあって欲しい心。ありていにいうとかまってちゃん。

それは人間が感情の動物である以上、しょうがないもので、それを自分の中でどう処理するかではないのかな。ちなみに、鹿は処理がものすごく下手です。結構、外にも内にも力づくです。

この作品で「水銀」というものを題材に選んだことについてちょっと触れてみます。例によって、イメージ先行走り幅跳びタイプなので。

「端末を立ち上げると、聞きなれた声が溢れて心が躍る。」「誰かの名前が呼ばれる度に重いものでも飲んだかのように」

重いもの・・・金属?鉛?鉛中毒って言うのもあるなー。でも鉛は綺麗じゃないから却下。水銀いいじゃん!綺麗だし!比重重いし!→水銀を調べる→へー常温、常圧で凝固しない唯一の金属元素ふむふむ→蓄積するふむふむ→でも、毒よね?ちょうどよくない?そういう思いは毒やで毒!!そうよ!私の心の毒は比重が重いのよぉおおお!←

そんな感じで結構サクサクと筆が、いや指が進みました。

自分の中の溜まっていく毒とどうつきあっていくのかは、鹿ごときには説けないし、むしろ教えてお願いです。

たまには自分の毒を「手で触れないように寄せて」やり「浸食されるのを受け入れ」てみれば「きらきら震える」ことができるかもしれません。

日々精進、そしてなんでも筆のネタ。業を抱えて今日も行く。

ではまた。

秋刀魚と横顔

あとの祭り書き

秋刀魚と横顔

さて「秋刀魚と横顔」あとの祭り書きです。

なんかね、これが一番評判いい気がします、皆さんの反応。一番(ちゃっちゃかちゃーと)いや、さらっと書いた本なのですが。冒頭の母のくだりは決まっていて。さて、どういう話にしたものか←決まってない(いつも)。結構いつも書き出しだけ書きたいように書いてしまってラストどうなるか全然決まってないことが多いです。

そんな風に言うとちょっと天才肌っぽくてかっこよさげw。いや、無計画なだけです。プロットちゃんとしろ、私。掴みだけで書きだしちゃって、ひーっ纏まらん!ってなったりしてます。

おかーさんの煙草からなんかないかー・・・あ!苦いつながりにしよ。「だが、それ以上に、この世は苦い。」うむ、落としはこれ。苦いもの―苦いもの―・・・煙草とお酒はいいとして、秋刀魚!そして秋刀魚と言えば苦いかしょっぱいか!

でも、春じゃん今。ほんとはむっちゃ桜とかじゃん。でもでもでも、あ、だめだ。もうこの「さんま、さんま、さんまにがいか、しょっぱいか」のフレーズが頭から離れない・・・とこの形になりました。

引用した佐藤春夫の「秋刀魚の歌」は、谷崎潤一郎というイカレた人が自分の奥さんを佐藤春夫くんに「俺の嫁、おまえにやるわ」って言ったのね。でも「やっぱやめる」って言い出して、もう好きになっちゃってた春夫くんが、今日のサンマは涙の味がするぜって失意の元に詠んだ詩でございます。5行で説明できた!ちゃんと知りたい方は検索してください。

この春夫くんの女々しい感じが、おかーさんを超えられないなぁ、パッとしないなぁっていうのにちょっと被って笑。そしてグイっと流れが進みました。

ラスト部は読んで字のごとし。秋刀魚と横顔は「おかーさん、すごいわ。私はぱっとしないけど。まぁ、しょうがない、しょうがないよね。そして喫煙者には厳しい今日この頃」っていうお話でした。

ではまた。

寄り添うまでもなく

あとの祭り書き

寄り添うまでもなく

おかげさまで、ボイコネを始めて今日でちょうど1ヶ月が経ちました。作品を見かけて読んでくださる方、お気に入りを押してくださる方、有難くもエールをくださる方、Twitterでも絡んでくださる方々、皆さんのおかげで楽しく聴いたり書いたり三昧の1ヶ月を過ごしてしまいました!本当に大好きです、ありがとうございます。

さて、「寄り添うまでもなく」あとの祭り書きです。

実はボイコネに最初に投稿した「記憶の海」よりもこちらの方が先に書き出してたんです。でも最後まで題名が決まらなくてなかなか投稿に至らず、「記憶の海」が先に投稿されたというわけです。

まず、「秋の鹿は笛に寄る」という諺を知った時に、美しい日本語だなぁと思ってしまいまして。これに纏わる話にしたいなぁ、と。だって「寄る」んすよ?「笛に寄る」どーなん、これ?

魅せられ過ぎて思わずおこがましくハンネにまでしてしまいました。

そうなると、そんな素敵な諺を引用しといて素敵な題名なんて無理じゃん!そのまま「秋の鹿は笛に寄る」しか思いつかなくない?ちなみに動物としての鹿は実はあんまり好きじゃないです。偶蹄目の横形の黒目が恐い・・・あとたいてい、鹿系の顔の女子に男取られたりしがちだし。

とりあえず結末がどうなるかわからないけど筆の、というか、指の動くままに書いてみよう。

恋の季節に鹿笛に騙されて身を滅ぼしちゃうとな。でもどーせ恋で身を滅ぼすなら偽物ってどうなん?滅ぼすなら本物がよくない?って思ったまではいいとして。そもそも本物ってなにさ。

毎回恋に溺れて、毎回かなりの確率で身を滅ぼして、そして毎回不死鳥のようにしれっと蘇ってるやん、私。もうね、本物とかじゃなくて、きっと笛に寄るじゃなくて、笛と共に生きてるくらいじゃん。

偽物の鹿笛の音に純真に騙されてるんじゃなくて、もう「惑いたくて溺れるのをを受け入れているのか、溺れたくて惑わされるのを是としているのか」ってことですよ。

惑う事自体が楽しくなっちゃってるから、結果溺れるのはしゃーない、なのか。そんなんじゃ惑えねーよとか思いながらも、溺れたいから惑っとくか、なのかもう自分でもよくわからないです。

こんなゲスな私でもいつか「本物」に出会えるんでしょうか?それともそれは今溺れてるあなたなんでしょうか?それならいいのに。いや、またか、まただよね、うんうん。

・・・そんなわけで「寄り添うまでもなく」は、「鹿ちゃん、男見る目ない?あ、自業自得?」というお話でありました。

おあとがよろしいようで。

ではまた。

記憶の海

あとの祭り書き

記憶の海

はい。「記憶の海」の、あとの祭り書きでございます。

これに関してはもう、こっぱずかしい!以外のなにもない・・・っていうのが正直な所なんですがw。初めて投稿した作品なので、何度も推敲しました。何度も推敲してこれです、限界です、あぁあああ。

こいつは、最初の二行と中也の詩だけが走って進んじゃったやつです。書きたい言葉と浮かんだシーンを羅列して、纏まるようにストーリーをこじつけたといっても過言ではないシーン先行で走り幅跳びです。だって好きなんだもん中也。

引用した中原中也「北の海」:「海にいるのは、あれは人魚ではないのです。海にいるのは、あれは、浪(なみ)ばかり」あー素敵。空を呪ってるんですよ、空を。もうね。天才で変態で日本語バンザイ←

大体いつも全体像として3~5倍くらいの文章量でとりとめもなくザブザブと思いつくまま書いていきます。脈絡もつながりも無視して書くのでカオスですwww。それを二日くらい寝かせてから、並べて、整理して、くっつけて、残りの文字は捨てちゃう。難しい言葉を使いたくなる元文学少女ですが、そこはぐっと我慢して己を戒める。

この作品については、初めての投稿だったので、恥ずかしながら自分で読んでスマホに録音して時間を計ってみました。口に載せて言い回しが不快な言葉も、ちょっと直したりね。でも・・・聞き直すのはまじで罰ゲームでした・・・下手。くっそ下手www。キャストさんすごい、ほんと尊敬・・・

「初めて見た青い海は誰とだったかな→①、初めて知らない国に一緒に行ったのは、誰とだったかな」このへんに書いてある内容は結構ノンフィクションです。①:○○金融公庫にお勤めだったTさんと沖縄。②:■■商事にお勤めだったMさんと香港。ああ、文字にするとなんて下世話www。

「桜を見ながら隣で笑っていたのは誰だったかな」→すみません、これはマジで誰だっけです。「そうだね、海にも月にも桜の下にも人魚はいなくて兎もいなくてあなたもいなくて」ここに、中也をねじ込みたい三点固め+桜の木の下というパワーワード+語呂で③にしたんでございます。

「ああ、今一緒にいたいのは・・・さて誰だったかな。」→④:こいつ。こいつ隠しキャラです。こいつのせいで「心に隙間が出来」てんねん!くっそー。注目ヒントとしてはここだけ「。」です。かつては「ずっと一緒にいた」い人をきっと探してたんでしょうが、今は「今」一緒にいたい人でいいんです。なのに、「今」すらちゃんとできないんかくそ、ふざけんなばーか。あ、すみません私信です。

要は④のせいでやさぐれて、大丈夫!私いい女だったもんね?って思うために昔のいい男を思い出して、ディズニーとか、月に兎とか、おとぎ話で王子はいないわけよ。海に人魚はいなくて浪ばかりなのよぉぉぉぉ!・・・わかっちゃいるけど、今日も頑張ります!

「鹿さんのお話はとても綺麗な言葉で」とたくさん言っていただいたのですが、言ってる内容は結構しょーもなく下世話です。ごめん。。。今後も、愛想をつかさずお付き合いしていただけたら嬉しいです。

ではまた。